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英語アレルギーから立ち直った発行者による人気のメルマガから、ユニークな英語教材が生まれました。つまらない勉強で、貴重な時間や何十万円というお金をムダにする前に…。(印刷が必要なダウンロード商品です)
一度日本語に直してしまう習慣をジョークと練習で矯正します。
人前で使える品の良いジョークだから、実際に役立ちます。
LaTeXを使用した、読みやすくクオリティの高い本格的組版。
カナダ・バンクーバー育ちのクセのない朗読でヒアリングも完璧。
期待に添えなかった場合は、恨みっこなしに全額をお返しします。
あなたに当てはまる項目は? まずはチェックしてみましょう。
どうでしたか? 1つも入らなかったって方は、おめでとうございます(そのままの勉強を続けてください)。残念ながら1つでもチェックの入ってしまった方、「笑える英語®」がお手伝いできるかも知れません。
(世界でも有名なくらい)英語が不得意なのでしょう。世界が一つになろうとしているときに、「英語で読めない・分からない・伝えられない」ままでいいのでしょうか。
ここではまず、1.その症状を分析し、2.原因を探ります。原因が分かれば、3.正しい治療法を得ることもできるでしょう。今までとは違う「努力が報われる勉強法」が得られれば、肩こりだって少しは楽になるはずです。
やみくもに英語の勉強を始めていませんか? せっかくの努力も、方向性や方法が間違っていれば、良い結果は生まれません。英語の勉強をはじめる前に、考えてもらいたいことがあります。どれも当たり前だと思っていますが、実は根本的な問題がこの中に隠されているのです。
学校での授業や試験の準備などで何百時間も勉強するというのに、どうしてこんなにも英語ができるようにならないのでしょうか。努力が足りないせい?(まさか!)
なぜ日常会話程度の英会話に、何十万円ものお金を掛けなくてはならないのでしょうか。クラスが上がったと言っても、もともと実力より下のクラスに入れられていただけってこと、ありません? 彼らの言うように、結局、留学しなくちゃダメなのでしょうか?
一体いつになったら、気楽にペーパーバックを読んだり、フツーに英語でメールを出したりできるようになるのでしょうか? そうなるための準備である「このつまらない勉強」を、あと何年続ける必要があるのでしょう? 英語に楽しく接することが、本当は一番の勉強になるのに…。
日本人の英語コミュニケーション能力の低さは世界でも有名だし、日本人には語学の才能がないのでしょうか? 無理なことなら、やる意味ないし…。
「笑える英語®」はもともと英語が大嫌い、長文問題を見て蕁麻疹が出た(本当に!)ほどの状態から、ペーパーバックを読んでホロリと涙するまでになった、おちこぼれの七転八倒から生まれた教材です。はじめから英語が得意だった“英語の先生”が作ったものではありません。
(英語圏以外の)世界では複数言語をあやつることは、ごく普通のことです。英字新聞を読んでいるからって、宇宙人扱いされることはなく、「どちらかというとインテリだな」くらいの扱いです。たった1つの外国語を10年近くも勉強し続けて、ロクに本も読めない……なんて、人前じゃ恥ずかしくて口に出せないことです。
「日本語はインド・ヨーロッパ語族じゃないし、特殊だから」という言い訳が一見通りそうですが、少し考えれば、それもウソだと分かります。例えば、ハンガリー語はインド・ヨーロッパ語族じゃありませんが、ハンガリーの人たちが「英語ができなくて有名」だなんて聞いたことありません(逆に語学と数学の達人が多くて有名です)。
複数言語をあやつる人の中には「英語、ドイツ語…」と来た次に、「中国語、そして少しですが日本語…」なんていう人も平気でいます。もし言語体系が違うことがそんなに問題なら、彼らは語学の勉強だけにすべての時間を捧げても、時間が足りないことになります。
日本語を学ぶ外国の人も、数年も教室に通っていれば、その辺の日本人より上手に美しい日本語を使うようになります。自分たちの言語と似ていないからって、できないのが普通なんてことはあり得ないのです。
「努力が足りないから」「日本語が特殊だから」という理由が使えないとすると、残るは1つです。そう、私たちの勉強法が、外国語に対する姿勢が根本から間違っているわけです。
じゃあ、何を間違えちゃってるんでしょう? 歴史を振り返れば、ヒントがあります。かつて、まだ貴族がいた頃の日本では、中国(隋、唐)の文化にめちゃくちゃ憧れていました。政治から宗教まで、ほぼ全ての文化(今お読みのこの文字もまさにそうです)を大陸から吸収していたのですから、その憧れの度合いは圧倒的。私たちの「英語ができたらなぁ」なんて思いは比較にもなりません。
遣隋使、遣唐使のモテぶりは、教科書に出てくるくらいですから、余裕のある人はみんな夢中になって漢詩を勉強しました。もうそれだけで良かったのですから、何かと追いかけられるものがある現代の私たちから見れば「ちょラク」です。みんな(その時代の)中国語がベラベラだったに違いありません。
ところがです。実際に中国語が出来た人はほとんどいませんでした。何をしていたのかというと、中国語≒漢詩を返り点など付けてこねくり回し、あくまで特殊な日本語として解釈していたのです。
『有朋自遠方来 不亦楽』を『友あり、遠方より来たる。また楽しからずや』と読んで「分かった!」としていたのです。「それは日本語だろっ」と、思わず突っ込みたくなりますね。本来なら中国語そのままの順で、その文法や語彙がしっくり胸に落ちたとき、はじめて「分かった!」です(いいえ「知道了!」ですね。発音できませんけど)。
中国語をこねくり回し、特殊な日本語として解釈して分かったつもりになっても、中国語は永遠に身に付くはずがありません。「ハハハ、ご苦労なことだね!」って、ちょっと待って下さい。そっくりなことをしている人がいますよ。すぐ近くに……。
英語を英語のままに捉えようという練習を一切していません。まるで英語という呪文を教材に、日本語の勉強をしているようです。
「ご苦労なことだねぇ」と笑われる対象は昔の日本人だけじゃなく、現代の日本人、つまり私たち自身なのです。私たちは英語を勉強しているつもりで、結局、特殊な日本語を勉強しているのです。そんなことをいくら続けても、英語が身に付くはずはありません。
本来、言語というものは「意味されるもの」と「意味するもの」が直接つながるものです。ある概念(=意味されるもの)があって、それを例えば with という言葉(=意味するもの)に代表させるとしたら、そこに理屈なんてありません。理屈を得ようと、日本語として分析しても得るものなどないのです。
私たちがすべきは分析ではなく、その日本語とは異なる概念を共有することです。「1.―に付属して、2.―と同意見で……」といったように、日本語という異物を介在させるのではなく、ネイティブの持つ with というイメージ・概念を共有しようと努力すべきなのです。
私たち日本人は、この根本的な間違いになかなか気付きません。もう千年も昔から、すっかり身に沁みちゃってるんです。だから学校英語・受験英語に対して、ぼんやりとした不信を感じても、じゃあ何が間違っているのか、うまく説明できないのです。「英会話だろう」と軌道修正したところで、英語に対する構え方が根本から間違っているので、やっぱり壁を破ることが出来ないのです。
「笑える英語®」は勉強のための教材と言うよりも、英語への構え方を矯正する道具となるように開発しました。英語を英語のままに捉える練習に何より適しているものこそ「ジョーク」なのです。英語の語順・英単語の持つニュアンスをそのまま捉えて、はじめて笑えるからです。
私たちは小さな頃から、つまらないこと、心がイヤだと言っていることから逃げてはいけないと教え込まれています。努力はつまらなければつまらないほど本物であり、楽しそうに嬉々として取り組んでいる人を「努力家」と呼ぶことはありません。心がイヤだと言うことをそれでも続けることが正しく、ワクワクする楽しいことに夢中になるのはタブーであり、間違いだと信じています。
まさに勉強がそうです。勉強は「勉(つと)めて強(し)いる」と書きます。つまらない先生がつまらない教科書を黒板に丸写しするつまらない授業を、何の疑問も持たずに(=能動的に働きかけることをしないで)ノートに清書することが、私たち生徒に求められる態度です。
勉強という作業を定義づければ、「その教科のすべてが圧縮された教科書をひもといて理解し、受動的に丸覚えすること」だと思います。試験で問われるのも、「理解しているか?」とか「ちゃんと覚えているか?」ですし、こちらから能動的に働きかけるような能力は問われたりしません。勉強はあくまで受け身の面白くもない苦行で、その唯一の救いは、教科書という範囲により、いつかは終わることです。
「どうして算数(社会/理科…)を勉強するの?」と聞いてみれば分かります。「いつか社会に出たとき、役に立つから」という答えが返ってきます。奴らの考えでは、勉強は未来ために投資する現在の苦行なのです。「今、楽しいから勉強するんだ」という答えが返ってくることは決してありません。
もちろん英語も「教科」ですから、勉強するものだと思っています。英語を身につけたいという純粋な気持ちが高まるほど、一生懸命に勉強しちゃいます。「英語という教科のすべてが書かれている教科書があって、それを丸覚えすることで英語をマスターできるはず。いつかそのときのために、心がイヤだと言うこのつまらない苦行を続けるのだ……」と。
ハマリのパターンです。英語はスキルであって、教科ではありません。それさえ丸覚えすれば、すべてOKとなるような教科書など存在しません。その独自の物理を体に覚えさせる練習こそ、スキルの習得に必要なのであって、分析などしても意味ないのです。意味のない勉強ばかりで、肝心の練習をしていないなら、英語を自由に使える日が来ることは、一生来ません。間違えた努力は、報われないのです。
勉強(=完成された教科書を受動的に丸覚えする)をして、できるようになるのは試験です。残念ながら、その教科の世界観を自分のものにすることはできません。数学の「勉強」をいくらしたところで、できるようになるのは数学の試験であり、決して数学者(=数学マスター)になれない、ということです。
私たちは何のために英語を勉強しているのでしょうか? もちろん試験のためじゃありません。身構えることなく、英語で読んだり書いたり、聞いたり話したりできるようになることです。英語という知識を付けたいのではなく、英語という知恵・スキルを身に付けたいのです。
つまらないことをイヤイヤ続けて、何かをものにできるほど、世の中は甘くありません。一流の人はみんな楽しそうにしています。その道が面白くて仕方ないから、夢中になって追いかけているうちに一流になるのです。「心がイヤだと言うことを続けなさい」なんて、二流の人のタワゴトです。そんな呪いは、早く解かなくちゃいけません。
英語だって同じです。つまらない苦行を続けても、英語を自分のものにすることはできません。面白くて仕方ないから、夢中になって英語に接しているうちに、いつの間にか英語マスターになるのです。楽しむことを後回しにすることは止めて、今すぐに、英語を楽しむべきです。
試験で高得点を取ろうなんて低いレベルを目標にしているから、「勉強」しちゃうんです。本気で英語というスキルを身につけるようとすれば、おのずと「練習」に向かうはずです。ムシズの走るようなつまらない苦行に、これだけ時間をかけても結果が出ないのは、勉強しているからです。練習は楽しくて、しかも結果がついてきます。正しい方法なら、努力は必ず報われます。
「笑える英語®」は楽しみを後回しにしません。楽しむことこそ英語学習の王道です。クスッと笑えるスタンダードなジョークで、今から英語を楽しみましょう! 教材・音声ともダウンロードしてすぐに始められます。やる気の冷めないうちに、まずは試して下さい(1年間返品可能です)。
よく聞きますね。「日本人は英語の読み書きならできるけど、聞いたり話したりするのが苦手なんだ」と。日本の英語教育は欧米文化を一方的に仕入れるために発達したものだから、読み書きが中心となっていて、聞いたり話したりする勉強は後回しになっている、なんて…。
ウソばっかりです。読み書きだって、全然できません。
ある英語の試験による国別の比較で、日本はほぼビリ、アジアでは北朝鮮と並んで最下位だったそうです。英語のテキストに自由に触れることのできる日本が、鎖国状態の北朝鮮と並んでいるって、すごくありません? 英語能力の欠如による鎖国状態と言ってもいいくらいです。
文法ばかり勉強して、じゃあ辞書さえあれば何でも読めるのかと言えば、ごく簡単な文章でも一読しただけではチンプンカンプン。文のお尻から頭に向かって、いちいち逆さまに読み直して、何とか意味を捉えるという有様です。
ちょっとまとまったもの、例えば英字新聞などは、とてもじゃないけど無理です。朝刊1部を読むのに、多分1週間はかかってしまうでしょう(その間に6日分、溜まってしまいます!)。それで「読める」などと、よく言えたものです。
何年も読み書き中心の勉強をしてきて、児童書の1冊もサラッと読めないなんて、根本から間違っているのです。結果が伴わないなら、読み書きどころか、なんにも勉強していないのと同じです。私たちは、限りある人生の貴重な時間とエネルギーを浪費させられているのです。
「だから英会話もやるべき」という流れもありますが、がんばったところで読めも書けもしない英語教育の上でおこなわれることですから、がんばったところで聞けも話せもしない結果になるのは確実です。挨拶くらいはできるようになるかもしれませんが、お互いの意見を戦わせるような本当の会話は無理でしょう。
あせって英会話に時間やお金を投資してはいけません。構え方が根本から間違っている限り、結果は出ないからです。「読み書きならできる。できないのは英会話だ」という考えを改めなければなりません。私たちは、英会話はもちろんのこと、読み書きさえ満足にできないのです。なにせ「アジアでビリ」ですから。
「笑える英語®」は自然な英語の捉え方を練習します。テキストで英語を英語のまま捉える練習をしながら、ヒアリングでネイティブ英語の速さに慣れていきます。その遠慮ないナチュラルスピードは、日本語の介在を許しません。英会話学校の前にまず「笑える英語®」で構え方を矯正しましょう。
英語に対する根本的な姿勢が間違っている限り、どんなにお金と時間を費やそうとも、英語は身に付きません(せいぜい肩コリくらいです、身に付くのは…)。力を入れるほど、歪(ゆが)みはひどくなる一方。まずは今まで信じ込まされてきた呪いを解き、正しい姿勢を取り戻さなくてはなりません。英語のリハビリです。
身につけたい正しい姿勢は、次の2つ。
姿勢が正しいものになれば、今までの「カラ回り状態」から脱することができます。ついにギアがカチリとはまり、努力した分だけ確実に実力が付いてくれるようになるのです。
ところが、実際にやってみれば分かりますが、英語に対する姿勢を上記のように変えるのは、けっこう難しい! 癖(くせ)というものは、なかなか抜けないものです。何より、日本で手に入るほぼすべての英語教材は勉強する用に作られているのが問題です。せっかくやる気を出して時間やお金を投資したのに、かえってまた癖を強めてしまったなんて結果になりがち……。
すべてをゼロに戻す必要があります。はじめて英語の授業を受けたときのワクワク感を思い出し、もう一度そこからやり直すつもりで。あなたが今おこなっている勉強(その方法と教材)をいったん止めて、まず、ゆがんでしまった姿勢を正すのです。具体的には次のようになります。
多くの人がこのステップが肝心であることに気付いていません。日本語をマスターしたときのことを思い出してください。いきなり凝った文体の文学から勉強しましたか? 説得力ある演説や粋なセリフの映画から日本語を覚えましたか? 初めて読んだ日本語の文章は、情報を圧縮し、客観性を重んじる新聞でしたか?
そんなことはありませんよね。周りの大人が話しかけてくれるプレインな(=やさしく普通の)日本語から、まず身につけたはずです。自分の中に「普通な日本語という基準」ができてから、初めて次の段階、例えば「凝った文体」や「説得力ある言い回し」「粋なセリフ」「客観的で圧縮された活字」を学んできました。
プレインな英語とは「やさしく普通な、基準となる英語」です。普通の文体という基準を持たない限り、その言葉の世界を自分の中に作ることはできません。新しい単語や言い回しに出会ったとき、普通という軸があるからこそ、「それより難しめ」とか「簡単でちょっと幼稚っぽい」とか、位置づけることができます。
まずはプレインな普通の英語を身につけることを目標に定めましょう。プレインじゃない英語は、普通という基準が身に付くまで、教材としてふさわしくありません。ところが現在、日本で幅を利かせているのは、プレインじゃない英語ばかり。例えば……
上記すべて、プレインな英語とは言えません。よく教材として使われているのを見かけますが、その英語は、もうすでに基準となる普通の英語を自分の中に持っている人向けなのです。基準から外れている度合いを味わえるだけの実力がなければ、面白くも何ともありません。
基礎が固まらないうちに応用に手を出していることになります。上記の英語を教材に勉強したところで、つまらなくて続かない・他に融通が利かない・実力が付いた実感が得られないはずです。つまり今まで自分のせいにしていたことは、単純に教材が合っていなかっただけなのです。
ジョークがプレインな英語だと聞くと、驚かれるかも知れません。「普通じゃないから、笑えるんだろう?」と。確かにオチはあります。ところがオチがオチとしてあるためには、その前に確固たる地平を、語り手と聞き手で共有しなくてはなりません。地平があるからこそ、「オチ」ることができるのです。
またジョークは、いかにもありそうなシチュエーションで展開されます。良くあるパターン(=普遍)という世界の上に、思ってもみなかったオチ(=特殊)が来ます。英語によって構築される世界は、普遍的なものです。
ところが文学や映画などは、逆になります。物語とは、特殊な世界の上にある普遍性を描いたものです。例えば、宇宙人が侵略してきた地球(=特殊な世界)で、必死に逃げながら確認される家族愛(=普遍性)というように。英語や映像によって構築される世界は、特殊なものです。
特殊な世界を構築する英語より、普遍的な世界を構築する英語の方が、より普遍的なのは当たり前ですね。つまりジョークは実用英語なのです。
いかにもありそうなシチュエーションを、自分のよって立つ地平として、聞き手がパッとイメージできることが、語りとして大切になります。聞き手がそのシチュエーションをなかなかイメージできないようでは、ジョークとして失格です。だからジョークでは、プレインな英語が使われるのです。
「笑える英語®」でプレインな英語を身につけましょう。オチを付けるために、ジョークではまず基準となる地平(=共通の土台)を作ります。なるべく早く確固たる地平を作るため、プレインな英語になるのです。普遍的な英語を学ぶのに、ジョークは最適です。ただ面白いだけじゃないんです。
小学校の頃、国語の教科書を丸覚えさせられませんでしたか? 言葉を覚えるときには、どうしてもこの段階を踏む必要があります。言葉は理屈ではなく、感覚であり、そして感覚は頭の中にある程度のストックが貯まったときに、自然と生まれてくるものだからです。
母国語をマスターした後に外国語を学ぼうとすると、理屈が言葉を作っているという思い違いをしがちです。全然違います。理屈なんて後付けです。感覚こそが言葉を作っているのです。
例えば日本語で「読み書き」と言いますが、「聞き話し」とはあまり言いません。読むことと書くことの名詞形を並べて「読み書き」なのですから、聞くことと話すことの名詞形を並べて「聞き話し」と言っても、理屈的には間違いではありません。でも「なんかヘン…」なのです。つまり感覚が日本語としての正しさを決めているわけです。日本語を理屈から勉強しようとしたら、きっと私たちは未だに日本語をマスターできていないはずです。
英語だって同じです。英語を理屈から勉強しようとして、感覚をつかもうとしなければ、永遠にマスターできません。仮定法など理屈で解釈していたら、とてもじゃありませんが会話のスピードについていけません。過去形の持つ感覚(※1)を身につけていなければ、自然に反応できないのです。
感覚を掴むためには、ある程度の分量を、徹底的に真似して、丸覚えする必要があります。完璧に再生できなくてもいいのですが、それでも一度は丸覚えしていく作業をすることで、頭の中に言葉のストックが溜まっていきます。そのストックが感覚を作ってくれるのです。
ところが人という生き物はケチですから、なるたけ丸覚えなどしたくない。いつか使うものならまだしも、この先どうせ使わないものに、貴重な脳細胞を割きたくないと、こう思いがちです。無意識にしろ「自分には関係ない」と判断したものは、まったく、面白いように覚えられません。自分に関係あるものでないと能力を発揮できないのです。
この観点からも、教材は選ぶ必要があります。自分が使うことをリアルに思い浮かべられるものを教材にすべきです。
文学は面白い。でも文学を教材として語学を勉強するのは面白くもなく、覚えられもしません。作家にでもならない限り、その特殊な英語を使うことがないからです。使わないだろうと感じているものに、能力は発揮できません。同じように演説も歌詞もセリフも新聞記事も、わざわざ勉強したところで、まず滅多に使いません。丸覚えしようという意欲が湧きづらいものです。
ジョークを丸覚えしようなんて、まるで冗談のようですが、本気です。実は英語圏において、ジョークはとても大切なコミュニケーションの道具となっています。私たち日本人が思っているより、ずっとずっと大事な役割を担っています。
ジョークの丸覚え(彼らにとっては「仕入れる」ですね)は、英語圏の人々にとっては、ごく当たり前のことです。人が集まれば「(新しいジョークは)何かないの?」となります。ジョークの1つや2つ、ネタとして持っているのは、もうマナーと言ってもよいくらいです。発表する機会が待ち構えていると分かっていれば、さすがの無意識も「関係ない」とは言えません。
何も特別なことではありません。英語圏の人々と同じ事をするだけです。大切なコミュニケーションの道具であるジョークを仕入れるのです。
「笑える英語®」は丸覚えします。スピーチや会話で使えるジョークなら、丸覚えしても損はありません。もちろん理屈も解説していますが、ただの文法ではなく、英語を感覚から掴めるようにしたものです。使える、プレインな英語をストックして、感覚をつかみましょう。
今までの勉強では「難しめのテキストを、少なめに」でした。文法的に癖のある文章を、時間をかけてこねくり回し、第五文型だの何なの言っていました。そんなことをしていては、プレインな英語を自分のものにすることなど、いつまで経ってもできません。
10年近くも勉強してきて、それなりの時間は積んできたつもりでも、結局、触れてきた英語の量と言えば、ペーパーバック1冊分にもならないでしょう。たかが本1冊分、しかもプレインとは言えない英語を勉強したくらいで、英語をマスターしたいなんて、言う方が間違っています。
この調子で、もう10年勉強したところで、2冊分です。20年もの時間をかけて、本2冊分って、一体何をしているのでしょうか?
それでも、ちゃんと「英語として読んでいる」のなら、いつかは身に付くでしょう(100年くらいかかりますが…)。実際は「日本語として解釈し直している」だけなのですから、いくら時間をかけたところで、英語を英語のままに読めるようには、永遠になりません。
私たち日本人が語学力に劣るのは、真面目だからです。真面目に勉強しようとして、ちっとも楽しまないからです。
普通、語学をマスターしようと思うときは、その言葉で何かをしたいからですよね。例えば、漫画や小説を読みたいとか、好きな音楽の歌詞をその言葉のままに味わいたいとか…。まさか「勉強したいから、その語学を始めた」なんてことはないはずです。
ところが私たちがお手本として仰ぎ見る「英語の先生」たちは、勉強がしたいから英語を始めたような人が多い。つまり研究です。先生たちにとって英語は研究・分析をするものであり、味わったり、楽しんだりするものではありません。もともと私たちとは目標としている道が違うのです。
不良っぽいと思われたい癖に、根が真面目な私たちは「偉い先生が書いたものなのだから、その通り勉強するのが正しいのだ」と思い込んでしまいます。もとの目的をすっかり忘れて、なぜか「研究者としての道」を歩み始めてしまうのです。タチの悪いことに真面目ですから、いつまでも自分を未熟者だと考え、「守破離(※2)」の「守」から出ることができません。
(※2)守破離(しゅはり)とは、技芸の型(かた)を学ぶときの心得。1.守=まずは決められた型を外れることなく忠実に守る。2.破=型に自分なりの工夫を加える。3.離=型に囚われることなく、心の赴(おもむ)くまま行動する。
世界を見回してみましょう。世界中の漫画オタクたちは日本語を楽しんで読んでいます。いつか漫画が読めるようになったらいいな…という憧れを押さえ込んで、研究者のような回りくどい勉強を10年も続けたりしません。日本語の基本をザッと学んだら、後は楽しい漫画三昧(ざんまい)です。
苦しい勉強をサッサと切り上げて、楽しいことに夢中になるなんて、不良もいいところ。何でも「道」にしてしまう日本では、とても認められませんね。
でも、「○○三昧(○○は何でもOK)」だからこそ、本当に身に付くんです。漫画三昧ということは、日本語のテキストを大量に読むことになります。2,3年もすれば、私たちが英語で目標としているくらいのレベルは、日本語で軽くクリアしているでしょう。中学校の3年間、少ないテキストを真面目に勉強している私たちには、絶対に達成できないことです。
言葉は理屈じゃなく感覚ですから、どうしても大量のインプットが必要なのです。真面目に勉強すればするほど、英語をこねくり回す方に時間をかけてしまうので、触れる英語の量はほとんど増えません。
英語を身につけようとしているのですから、まず第一に、たくさんの英語に触れるべきです。考えてみれば至極当然なことですが、なぜかスッポリ抜けています。英語の勉強といえば、辞書や参考書を広げて、机にしがみつく姿勢を取るものと決めています。気楽に寝ころんで、簡単な英語の漫画や本を読んでみようなんて、気すら起こしません。
実力はたくさんの英語に英語のまま触れているときに、徐々に付いてくるものです。いつか英語のまま読めるようになるための「英語を日本語に解釈し直すという勉強」をしたところで、英語の実力は一切付きません。
順番が違うのです。というか、まったく意味のないステップに足を取られて、本来ならすぐに進むべき次のステップ(=英語を英語のまま、どんどん読む)に辿り着かないのです。そろそろ不良っぽさを発揮しましょう。守破離の「守」を卒業して「破(=英語を楽しむ)」の段階へ、グリグリと進む時期です。
「笑える英語®」はジョーク三昧です。入門編で24、その後すべてを合わせると450を超えるジョークを英語のまま読んでいきます(メルマガ8年分!)。英文読解・文法の解説もしますが、こねくり回すことはしません。楽しい教材なら、ワクワクしながらたくさん読むことができます。
何はともあれ、見本をご覧下さい。組版にもこだわり、LaTeXを使用しています(出版レベルのクオリティです)。Adobe ReaderなどのPDF閲覧ソフト上では、細い線が消える、または太く見えたりするなど、多少ブレが生じることがありますが、実際に印刷した場合は、一切ブレのない、美しい組版になります。
テキストはPDFファイル、音声はMP3ファイルでお渡しいたします(入門編のみ)。ダウンロードの後、ご自分で印刷するようお願いします(何度も復習できることに加え、郵送を省くというエコも考えまして)。無駄なインクも使わないよう、白・黒・グレイのみのシンプルなデザインにしました。
基本的には、下敷きなどでテキストを隠しながら進んでいきます。左側のマークにより、そのときにすべき行動が分かるようになっています。
(A) =鉛筆マークは、「作業」を意味します。各自ノート、またはテキストに直接書き込んでください。PDFファイルなので、いくらでも印刷し直せます。遠慮無くバリバリ書きまくってください。
(B) =ストップマークでは、いったん下敷きを止めてください。その下に「答え」があります。鉛筆マークでの作業(書き込み)をここで確認します。
(C) =チェックマークは、白い四角形になっています。ちゃんと覚えているかどうかをチェックしていきます。忘れていた場合には、まず斜め線を1本入れます。2度目も忘れていたら、2本目の斜め線を入れ、バツ印にします。3度目には横線。4度目には縦線、5度目は真っ黒に塗ります。6度目には反省してください。
左側に日本語のタイトル、右側に英語のタイトル。日本語タイトルは英語をそのまま訳したものではなく、独立したものとなっています(英語のタイトルはそっけない場合が多いため)。
ジョークを「英語でも」読みたい! という気分が盛り上がるようイントロダクション入れています。日本語を読んでいるうちに自然に英文ジョークへと導きます。またオチに、よりパンチを効かせようという魂胆(こんたん)を背後に隠しております。
まずはいきなりですが、音声ファイルを聞きながら、ジョークを書き取っていただきます。日本語はテキスト主導型の言語ですが、英語は音声主導型の言語です。日本人は日本語を聞きながら、テキストを思い浮かべますが(じゃないと同音異義語なんて、理解できません)、英語ではテキストを見ながら、音声を思い浮かべます。彼らにとって英文テキストは「録音テープ」なのです。
テキスト主導に考えてしまうクセを取り去るため、まずは音声ファイルの聞き取りから入ります。
朗読はカナダ・バンクーバー生まれのネイティブである、ジェリカさん。ドイツ語を後から学び、バイリンガルになった経験から、外国語を勉強する苦労に理解があります(ちなみにすごい美人です)。あまり「米語」すぎないカナダ人の英語発音は、私たちにも聞きやすく、またお手本としても理想的です。
ただ、そのナチュラル・スピードは心ないほどで、学習者向けのゆっくりした英語しか触れていない人には衝撃的かも知れません。しかし、そのスピードこそが「英語を英語のまま捉える」という練習にもってこいなのです(入門編のみ「ゆっくりバージョン」も用意)。日本語を介在させる時間的余裕が一切与えられないからです。
繰り返し聞きながら、できる範囲で英文ジョークを書き取ってください。全然聞き取れない部分や、綴(つづ)りの分からない単語など、「聞き取れなくて悔しい!」思いが多いほど、その後、テキストを見たときの吸収力は上がります。脳みそにハングリーな思いをさせるのが、学習・記憶のコツです。最初に聞いたときには不親切に思えるかも知れませんが、その不親切さこそ脳みそにハングリーな思いを与え、結局はより深く、より効率的な学習となります。
ここで、自分の空白だらけの聞き取りをチェックします。テキストを見たとき、何度も繰り返した朗読が聞こえてくるようなら成功です。「英文テキストは録音テープなんだ」ということが体感できたとき、英語の実力はグッと高まります。
「(5) 単語解説」を見て確認が終わったら、自分で音読してみて下さい。せっかくネイティブによるナチュラル・スピードのヒアリングをしているのですから、極力その真似をして。多分、すべての練習の中で最も大切なのは、この音読でしょう。単純作業ですが、バカにしてはいけません(インド人もユダヤ人も昔の日本人も、教育熱心な民族はみんな生徒に音読させています)。ネイティブの発音を目指して、必ず繰り返し練習して下さい。
辞書のようにその単語の意味を全部を羅列(られつ)したりはしません。あくまでも、文中で使われている意味に沿って、単語の説明をします(文脈から外れた用例など、結局覚えられません)。意味の他にも、語源や印象に残るような解説を極力入れるようにしています。
チャンクとは「一塊(かたまり)」という意味。英語ではチャンクごとに思考するので、私たちもチャンクごとに考えるクセを付けなければなりません。いちいち単語ごとに捉えようとしてはいけないのです。ジョークをチャンクごとに分け、左側に英語チャンク、右側にその意味を用意しますので、チャンクごとに思考する練習をして下さい。
英語の文章を前にしたとき、チャンクごとに分かれて見える(/聞こえる)ようになれば、ネイティブ的思考に近づいた証拠。いわゆる「英語脳」を手に入れる道を歩き始めたことになります。チンプンカンプンに思える文法的に複雑な文も、チャンクごとに捉えることで、実は何てことはないシンプルな構造だったと気付くようになります。
笑いを解説するほどヤボなことはありませんが、正しく英語が解釈できているか確認するために、ヤボを承知で入れさせていただきます。文法的な解説もここでいたします。
入門編のみ。ジョークから派生した「英語学習者が学んでおくべき英語のポイント」です。本来はジョークだけ学んでいきたいところですが、まだ英語で笑えるほど実力がないうちは、ジョークだけではきついところがあります。早いところ英語の世界観を掴むためにも、英語の勉強を少ししていただきます。
直接書き込んで下さい。PDFファイルですので、復習するときにはまた印刷すればいいのです。ヒアリングで完全に聞き取れない悔しさを経験した分、その後の単語解説ではスーッと吸収されたはずです。
語彙力が確実に付いていることが実感できれば、やる気もますます湧いてきます。ジョークに出てくる単語は、ごく普通に使うものばかりですので遠慮は要りません。どうぞ全部覚えちゃって下さい。
ここで初めて日本語訳をします。「日本語訳をすることが英語の勉強だ」という勘違いはしないように。英語は英語のまま理解すべきであって、いちいち日本語で捉え直す必要はありません。ここでの作業はあくまでも「ちゃんと理解できているかチェックするだけ」です。
答えとしての日本語訳も付けますが、一つの「例」です。日本と英語はかなり違うので、一対一対応はできません。ただ「笑えるように」という点だけは譲らないでください。
日本語に訳してもジョークとして笑えるように工夫することで、日本語と英語の発想法の違いに気付くことになります。実は、日本語とは違う英語の発想法を掴むことこそスピーキング(話すこと)とライティング(書くこと)の鍵(かぎ)なのです。
初めからパッと英語の発想法で言葉が思い浮かぶようでないと、スピーキングとライティングはできません。日本語の発想法で言葉を思い浮かべているようでは、いくら英単語を多く知っていようと、英語ネイティブには理解できないヘンテコな英語になってしまいます。
一見すると「笑える英語」では、ヒアリング・リーディング・ライティングしか学んでいないように思えますが、それは違います。「笑える英語」にしっかり取り組めば、スピーキングも必ず上達します。英会話学校や留学は、英語の発想法に慣れた後に行きましょう。費用対効果が違ってきます。
日本語をヒントにして英語を書いてもらうわけですが、ここでの日本語は「チャンク訳」になっています。英語の発想法で言葉を思い浮かべれば、英語のライティング・スピーキングもそんなに難しいものではないことに気付くでしょう。
ここにおいて、英文ジョークを丸覚えしてしまうわけですが、自分の脳細胞をケチろうなどと考えてはいけません。たかが400強のジョークを覚えるくらい、脳にとっては何でもありません。それに記憶力は、鍛えれば鍛えるほど強くなるものです。
この「丸覚え」が英語の感覚を作るストックとなります。言葉をマスターするために、一度は通らなくてはならない道です。文句を言ってはいけません。そういうものなのです。ジョークなら、披露する機会も必ず巡ってきますし、無駄になることはありません。
ジョーク4つごとに「復習コーナー」があります。こんなにも忘れているものかと自分を責めたくなりますが、まあ、そんなものだと気楽に構えて下さい。以前の自分より少しでも成長していれば、それで十分。完璧主義に陥(おちい)らないように。「笑える英語®」を全部終えたときに、トータルで英語ができるようになっていればいいのです。
再びライティングをしてもらいますが、「(11) 一文ずつ英語に」と違う点は、ここでの日本語はチャンク訳ではないことです。普通の日本語から、英語を書いていただきます。つまりここでの練習は「英語の発想法で言葉を思い浮かべること」になります。
インド・ヨーロッパ語族を母国語にする人たちに比べて、私たち日本人に不利な点はここにあります。彼らの言語は基本的に同じ発想法の上にあるので、「自分たちの発想法をまずは英語の発想法に直す」という作業がいらないのです。
彼らが1段階で済むところを、私たちは2段階踏む必要があります。この余計なもう1段階を意識して練習した経験は少ないと思います。ぜひ「笑える英語®」で練習して下さい。
英語の教材として、せっかくジョークを選んでいるのですから、笑いも決められるようになりましょう。
別にふざけているわけではありません。ジョークの決め文句ほど、英語の神髄を表しているものはないでしょう。英語の発想法を鍛えるのに、最高の練習法となります。
これだけじゃありません。ジョークそして英語を読むことが楽しくなるようなコンテンツがもっと用意されています。子どもを本好きにさせる「アニマシオン」という方法に沿って、私たちが日本語を覚えたときのように、楽しく英語に接することができるように工夫しています。どんな感じなのかは、実際に手に入れてからのお楽しみ!
以上で1つのジョークに対する1クールとなります。これを「基本編」では24ジョーク、その他の編もあわせて、トータル440以上のジョークでおこないます。
その目標は、自力で英語の海を泳げるようになること。辞書を片手にヨチヨチとでも、気楽に英語に接することができるようになれば成功です。英語は英語の世界に直接触れることで、どんどん吸収されていきます。
実はそこからがスタートです。逆説的になりますが、日本語を頼りに英語の勉強をしている間は、本当の意味で英語の勉強をしているとは言えないのです。
例えば単語です。単語というのは、何回か(7回くらい)別の形で出会うと、自然に頭に入ってくるものです。多くの単語にそれぞれ7回くらい出会えば、もう辞書がいらなくなるわけです。7回も出会うとなれば、それ相当の英語に触れなければなりません。チンタラと「勉強」などしていたら間に合いません。英語世界に飛び込んで、どんどん泳がないと。
「笑える英語®」は英語の海に飛び込む前の、足の着くプールを目指しています。
「笑える英語®」は、ちょっと他の教材と違うかも知れません…。1)身につけるのは語学力じゃなく、コミュニケーション力。2)するのは勉強じゃなく、徹底した練習。3)練習を支える、ハンパないテキスト量――。「ラクして…」とか「…するだけ」とか言いません。いまどき机に向かいます。楽(ラク)じゃないかも知れませんが、楽(タノ)しく充実した時間をお約束します。
「きついな…」と感じられた方もおられるかも知れませんが、それは今までと違う勉強法だからです。「笑える英語®」では、英語は勉強すべき教科ではなく、練習すべきスキルだと考えています。ただジョークの英語を勉強するだけなら、こんなにきつくはなりません。ジョークという素材を使って、英語の練習をしようとしているのです。
実際に取り組んでいただければ分かりますが、その練習はきついけど楽しいものです。今まで普通に「勉強」してきた人には、初めての体験になるでしょう。そして練習こそが、語学を身につけるために唯一絶対の方法だと確信していただけるはずです。
「入門編」以降の講座は、1年52週分を1セットとして8年分8セットを用意。入門編のジョークはまだ短く簡単なものですが、それ以降ではもっとジョークも長くなりますので、1つのジョークを1週間かけて学ぶ計算になります(メルマガと同じペース)。
「ずいぶんチンタラした、ゆっくりペースじゃないか」と鼻で笑おうとした方、まだ勉強と練習の違いがお分かりになっていないようです。基本的な技術が身に付くまでは、どうしても時間がかかるものです。超・本気モード=時間とエネルギーをフルに費やしても、2倍のスピード(=4年)がいいところでしょう。
ただ一度そのコツが身に付きさえすれば、もう英語にストレス無く、楽しく触れることができるので、後は放っておいても、英語を楽しむだけでよくなります。永遠に英語を楽しめない勉強をするより、英語を楽しめるようになる8年の方が、ずっと「早い」と言えます。
「8年も時間をかけていられない」という場合は、どうぞ2倍の速度(=1週間でジョーク2つ)でがんばって下さい。幾何学に王道がないように、語学にも王道はありません。ある程度の「量」が絶対に必要なのです。
ご存じのように、自分にあった教材はそう見つかるものではありません。もし「笑える英語®」が気に入っていただけたら、ぜひ全部揃えて下さい。やり抜いたあかつきには、英語が嫌いじゃなくなっている、英語に楽しく自然に接するようになっている自分に出会えることでしょう。そうなったら英語はもう「勉強」じゃありません。付き合うほど、ますます気が合う「友だち」になります。
よほど英語に自信がある場合を除いて、基本的には「入門編」から始めていただきます。以降の講座もすべて、「入門編」をすでに終えていることを前提にしています。
「入門編」は音声ファイルも付いて、お試し価格¥1,780-(2024年12月現在、ショップ登録で¥300-割引中)となっています。まずはそちらで笑える英語を体験して下さい。他とは違う手応えを感じていただけたら、本格的に講座を始めて下さい。
「笑える英語」はダウンロードし、印刷してご利用いただく教材となります。テキストはPDF形式、音声ファイルはMP3形式でお渡しいたしますので、ご自分のパソコン等にダウンロードし、印刷してからご利用下さい。
なお、返品も可能です。ご期待に添えなかった場合(※3)には、恨みっこなしに全額を返金いたします。期限は1年間。安心して「笑える英語®」を覗いてみて下さい。
(※3)ちゃんと取り組んだ上で、ご判断をお願いします。真剣に練習してみたけど、何も身に付かなかったという場合には、100%全額を返金いたします。書き込みのあるプリント(全ページ)を郵送して下さい。お振り込みいただいた金額をご指定の口座へ、キッチリお返しいたします。
入門編は「ショップ」よりご購入いただけます。ショップへ行く
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